先日、都立両国高校の敷地に国産マッチに関する碑があることを書いたが、亀戸天神をぶらぶら歩いていたら、国産マッチの創始者の「清水誠」って人の碑を見つけた。
Wikipediaで「清水誠」について調べてみたら、
清水 誠(しみず まこと、1845年 – 1899年)は、明治時代の実業家。マッチの製造で知られる。
1873年にフランスの理工系学校の名門エコール・サントラル・パリに留学。そこで理工学を習得する。このときに学んだ知識がマッチ開発の際に役立ったと言われている。フランス留学中の1874年に、フランス外遊でパリを訪れていた当時の宮内次官の吉井友実からマッチ製造の研究を勧められる。翌年、東京でマッチ工場を操業。さらに翌年新燧社(しんすいしゃ)を創立する。広く他社にも製法の指導を行った結果、マッチは日本の主力輸出産業となったが同時に多くの粗悪品も輸出され日本製マッチへの信用を失い、あおりで新燧社は倒産した。
…ということらしい。
フランスへの留学から帰ってきて、マッチを作る工場を始めたのが江東区の亀戸とか両国あたりだったということだろうか。実際に歩いてみると、意外とおもしろいものを見つけるもんだ。